4/29(祝)甲州市にある真言宗智山派の放光寺の火渡りに行ってきました。

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放光寺は今は武田信玄の菩提寺恵林寺のすぐ近くにありますが、
その昔は、一ノ瀬高橋というもっと山深いところにあったのです。
そして、そこは金山として有名な深山幽谷(の入り口?)。
金山、真言密教(元々は天台宗だったようですが)、山岳修験、、
と繋がってう~んそれは、、、とわくわくしてしまう私。
加門七海氏の「黄金結界」ワールドなどが好きな方だったら
(ええ、もちろんわたくしのことですが。)垂涎ものです。

HPでざっくり見ただけより、実際に行ってみると
一連の流れがとても興味深くて“ときめき”が止まらなかったですわ(笑)
神社の神事と違って、ある部分興行的要素がありおそらくは昔、
勧進をも目的としていたであろうことは容易に想像がつきます。

大黒様をお祭りしてある祭壇の前のスペースに竹と縄で結界を張り
中央に生の檜の枝がこんもりと盛られていて、
脇には大きな鉄鍋が2つ煮え立っています。(最初???でした。だって消火用なら沸騰させなくてよいでしょ。)これはもろもろの儀式の何番目かで、半身脱いだ山伏が笹の大きな枝を熱湯に浸しでは体を打つのを繰り返し、、印を結び気合いを入れる行のような儀式のためのものでした。

2時を過ぎたころ、門から山伏の面々が登場してくるのですが、
正直、全員の眼力の鋭さにちょっとびっくり。
(おそらくは意識的にそういった表情で入場されてはいるのでしょうね。後から思うには。)
プログラムは山伏に関する知識を盛り込んだちょっとした小芝居から始まります。
山伏装束に法螺貝やら錫杖を持った人やら、腰に鹿の毛皮を巻きつけているやらそれぞれの役割や位に応じてでしょう。行列の最終は立派な法衣の和尚(山伏の面々が鋭い眼力なのと対照的に、ゴニョゴニョ。。。)
入場後も和尚様は赤い番傘を後ろからさすお付の方もいて立派なお椅子で特別待遇です。
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聖なる火となるには、もちろんマッチで付けた火ではいけません。
手続きを踏まなければ。
オリンピックの聖火だって手順が大切ですもんね。

ここでは点火用の火は、大黒天の祭壇の前の大きな蝋燭から松明に火を
移したものでしたが、その蝋燭の火は拝火教よろしく大切に維持されてきた火ではないだろうか、
とか想像してしまいましたが、どう
でしょうか? 
火がつけられる前には、いくつもの儀式があり、興奮気味の私の記憶で順番があいまいになってしまっていますが、
斧をつかった儀式、水を使った儀式(これから点火されるのに柄杓で水が掛けられ、私が?という顔をしていたら息子が横でガソリン?といい、「そんな訳ないだろうが!と一喝(笑)」)その他、剣を使った儀式と進み、
矢を四方と中央と鬼門に放つ儀式(この儀式、何かの小説で読んだ気がするのですが思いだせない。。。)

太鼓が打ち鳴らされる中、山伏の大声での読経や真言(大黒天の真:オン・マカキャラヤ・ソワカ)が延々と続き、勢いよく燃え盛る炎、と昔であれば一種のトランスに入ることも有り得るだろう空気です。
私たち親子は境内で予め買って願いを書いておいた護摩木をそこに投げ入れることも出来ました。

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炎がもっと治まってからと思われていた山伏による火渡りは、
びっくりするくらいの火力の中で!でした。
わざとゆっくり歩く方もいらっしゃいましたし!
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私たちも行列(夕方の県内ニュースによると400人)に並び、
火は消えていて灰渡でしたので素足で暖かく感じるか感じないかくらい。
最初に、筵の上に塩がどかっと山盛りにされたスタート地点を踏み
山伏の方が印を結んだ手で背中に気合いを入れてくれます。
手を合わせて火(灰)を渡り、向う側の塩が盛ってある上を踏み、
そのまま大黒様を拝み、退出する際には和尚さんが待っていて、
棒(なんていう棒か分からないけど)で突いてくれて大黒様の赤い御札をいただきます。

今回はその後行われる境内での行事(餅を撒くとか?)は参加せず
帰路につきました。
行列に並んでいる時に後ろの方から
「うちのオジイさんは去年火渡して1年風邪をひかなかった、云々
が聞こえてきて地元の人たちに愛され、
信仰されている祭りなのだなあと実感。
私も今回いただいた御札は大切に携帯しようと思った次第です。

そうそう、境内には弁天様のお堂もありました。
参道から直角に曲がって、弁天橋という橋で池を渡り、
池の中にお堂があるので上野や琵琶湖を持ち出すまでもなく
典型的に“封じ”の祀り方なのですね。
甲州七福神参りの一つだったとのことでした。